第1部 (1).チャンネル数の制限

はじめに

 

 私はテレビ局に勤めたことはありませんが、父が地方の放送局に勤めていました。幼いころから放送局に出入りし、父やその同僚からよく話を聞いてきたので、昔(昭和~平成ひとケタ)の放送局の実情はよくわかっています。また、その関連で国際放送機器展(幕張メッセ)を見学することが多く、技術的な知識は多少あります。

 

 さらに、いわゆるテレビ業界本も結構読んでいたので地デジ化とそれ以降の流れもある程度理解しています。ただし、資料は処分してしまっているので私の情報にはソースは示せないかもしれません。ご容赦を。

 

・地上波テレビはいくつあるの?、それはなぜ?

 東京は民放キー局(全国放送できる権限を持つ局)5局5チャンネル、県別のローカル局1チャンネル、NHK2チャンネル、放送大学1チャンネ局の計9局です。地方では民放3~5チャンネルとNHK2チャンネルです。 

 

 日本では、地上波テレビ局を5~9局見ることができます。

 

 この局数は、テレビのチャンネル数が12しかなかったことに由来します。しかも、アナログ時代の初期は周波数フィルター(特定の波長の電波のみ取り出す装置)の性能が悪く、1チャンネルと2チャンネルで同時に放送すると混信するため、隣のチャンネルは明けなければなりませんでした。

 昭和28年、東京で1~3chと4~6chの2つの帯域で放送開始(3chと4chの間にはタクシー無線や警察無線の帯域があった。)

 割り当ては 1ch NHK、4ch 日テレ、

のちに6ch TBS

 

 昭和34年に、東京で6chの後ろの帯域に7~12chを追加、フジ8ch、日本教育テレビ(のちNET、現テレ朝)10ch開局。(NHK教育3chも放送開始)ただし、12chの帯域は米軍使用のため使えず。返還されたあと昭和39年、東京12チャンネル(現テレビ東京)として開局。1、3chと4~12chの偶数チャンネルがいっぱいになりました。

 

 

 ところが、難視聴地域解消の中継局のチャンネルが足りません。地方では、この中継局が足かせとなってなかな民放局が増やせませんでした。そこでかなり飛んだ高い周波数にUHF、13ch~62chを中継局用として設定しました。その後、中継局以外でもUHFを使えるようにして、地方局を増やしたという経緯があります。

 

 

 これ以降、放送局は増えなくなり中継局が全国津々浦々に作られました。この辺の流れがチャンネル数の増加が止まった経緯です。