第1部 (3).地デジ化で何が変わった?

おさらい

 

 アナログから地デジに切り替えたことによって、実質的に使えるチャンネル数が増えたという話でした。

 

地域限定免許

 

 長野県諏訪エリアでは、東京の局を中継する有線放送が普及していました。ところが、地デジ化と同時にこれが禁止され、系列がないテレ東以外の東京の局は中継できなくなりました。詳しい経緯はわかりませんが、エリア外の視聴は制限されることとなりました。

 

 基本的な話ですが、大阪や名古屋の局が東京で見られないのはなぜか?、チャンネル数が何十年も増えないのはなぜか?

 

 ・・これはもともと電波の空きがなない、つまりチャンネルが足らないということでした。地デジ化でチャンネルが空いたのに、これを使って各局の放送エリアを広げたり、局数を増やすという話は全く出てきていません。なぜでしょう。

・地デジ化後も局は増えない、放送エリアも広がらない。

 そうなった理由は地方の放送局からの要望によります。実は地方局は東京の番組を「中継」することで成り立っています。東京の放送が直接各地で見られるようになると困るのは地方の局なのです。さらに放送エリアを広げようとしても、例えば、山形県と宮城県でお互いのエリアを開放しどちらも見られるようにすると、TBSや日テレの同じ番組がちがう局で同時に放送されることになります。結局どちらかが系列を離れなければならなくなります。

 

 このような理由で、地デジ化で混信がなくなり、放送エリアを広げたりチャンネルを増やすことは可能なのに、各地の放送局が反対するというの現実があります。

・地デジ化が規制の温床?

 地デジ化がこんな形になった理由は、地デジ化が莫大な投資を必要としたというところにあります。

民放局にとって地デジ投資は大きな負担であり、利益にもつながらないのでギリギリまで設備の更新をしませんでした。総務省はその対価として地方局保護の方針を出したといったところでしょう。地デジ開始後も空いているチャンネルを新たに割り当てるという話は出てきません。総務省もあまり乗り気でないようです。地デジの局数が増えない根本的な理由は、地方局の保護であるということがいえるでしょう。テレビ放送は免許事業であり、自由競争による倒産等は避けたいという方針なのかもしれません。

 

次回は衛星放送についてです。

・おまけ 放送局の思い出

 昭和40年代の話です。エンドーという駅前のスーパーの1階にラジオ中継用のサテライトスタジオがありました。そこから毎日ラジオ番組を放送していましたが、そこのミキサー室に父がよくいました。幼いころ母に連れられ、父の仕事中に遊びに?行くことがよくありました。ミキサー室から番組の中継をよく見ていました。当時このスタジオには、地元にやってきた芸能人がゲストとしてよく来ていたので、小学生ぐらいになってからは、芸能人を見るために父のところに行くこともありました。このスタジオはほかに緑屋、第一生命ビルにもあって、いったことがあります。そして、七夕になると特設のテントで中継をするのですが、そこに行くと父がいました。七夕を見に行ったついでに父にあってくるというのが定番でした。