第2部 (4).番組制作 1

ポストプロダクションと下請け

おさらい

 

 東京のキー局は、映画でいう「制作会社と、配給会社、東京の映画館」の3つを兼ねた放送局であるという話でした。 

 

自社制作から始まった

 

 番組はもともと自社制作でした。とはいっても、開局当初は放送開始時間も夕方からで、アメリカのホームドラマをそのまま流すことも多く、自社制作といってもコンテンツの制作はそんなに多くありませんでした。

 

 ところが、昭和30年代にテレビが普及しだすとチャンネル数も増え、番組が不足し出し、番組制作の量が増えてきました。そこで、番組制作技術者養成の学校ができたり、局内で養成したりしていました。

 

 有名どころでは、千代田テレビ技術学校(後の千代田テレビ電子学校。現在は廃校) という学校がありました。当初は放送局も自社で番組を制作していたのでこの手の専門学校から大量採用しました。

 

・番組制作会社

 その後は、番組制作会社が主に東京で設立され、制作はそちらに移ってゆきました。現在ではテレビ番組のほとんどは番組制作専門会社であるポストプロダクション(ポスプロ)で制作されています。

 

 そうなった理由は2つあって、1つは放送局の番組制作スタッフが管理職になるのを嫌がり、独立して番組制作会社を作ったというのがあります。この独立志向は現在もあって、テレビ局のプロデューサーはよく独立します。まあ、実際独立しても収入ガタ減りの場合が多いようですが。

 

 もう一つは、コストの高騰です。テレビが発展した時期と高度経済成長が重なってテレビ局社員の給与が上がってゆきました。さらに、組合活動も盛んでどんどん給与を上げていった結果、高コスト体質となりました。放送局の社員は高給取りです。東京のキー局では年収1千万を超えるようですし、地方でもその地域では結構高給取りです。現在、放送局で番組を自主制作すると人件費が非常に高いため、コストをペイできません。ポスプロに番組制作を出すことによってコストを削減しているのです。わかりやすく言うと下請けに出しているということです。

 

  ちなみに、仙台の某局では電波高校(現在の電波高専)からテレビ放送開始時に大量採用したものの、その後、地方では番組制作が少なかったので出向先もなく余剰人員なった社員が多く、部下のいない管理職として定年まで過ごすこととなりました。

 

現在の番組制作の専門学校を上げておきます。 

 

http://www.tohogakuen.ac.jp/toho/technique/

 

 このページを下にスクロールすると、中ほどに就職実績が出てきます。ほとんどがポスプロに就職しています。放送局への就職はありません。キー局の系列会社もありますがポストプロの給与は決して高くありません。仕事もきつく、社内で結婚した後そろって退職する事例も多いと聞いています。この業界は階層社会になっているのです。

 

次回は、番組のコストについてです。

・おまけ 地方局物語 (1).時報

このコーナーでは、父に聞いた放送局のエピソードや思い出をいくつか紹介します。

 

 私は子供のころよく放送局に行きましたが、スタジオ、そのほかの時計の秒針が全て合わせてあるのに気が付いて、おどろいたことがあります。父に聞くと、同期を取りきちんと合わせてあるということでした。アナログ時代、会社中の時計の秒針を合わせるのにはかなりコストがかかったと思われます。ラジオやテレビの時報もこの時計に合わせて鳴るということでした。

 

 私が中学生のころ開局20周年の記念ラジオ番組があってその中で、開局当時、アナウンサーが時計を見ながらスタジオの中で鐘をたたいて時報にしていた話をしていました。父にその話をすると、時計どころかアナウンサーがNHKラジオの時報をイヤホンで聞きながら、鐘をたたいて民放局の時報にしていたと言っていました。